| 氏名 | 森野 祐希(もりの ゆうき) |
| 入会年度 | 2021年度 |
| 2025・26年度 三原YEG役職 | 監事 |
| 生年月日 | 1987年10月2日 |
| 趣味 | 漫画(読む/描く)・ヴァイオリン・ピアノ |
お仕事の内容を教えてください
お庭、外構、リフォームを設計施工する三平商事有限会社の主任です。 造園、カーポート、ウッドデッキ、サンルーム、ガレージ、タイル、石張り、コンクリート等外構の設計施工が主。セトウチベースというオリジナルのガレージハウスもあり、三平商事でないと提案できない強みや1500名の顧客に支えられて48年という歴史もあります。
経営理念の「あなたに出会えて良かったの追求」を根底にお客様、OB顧客と一生のお付き合いを目指して日々活動しております。 業種で言うと建築業ですが、私たち三平の本質は「住まいに関わる幸せ創造業」です。
社長の林の造語ではありますが、その名の通り住まいに関することでその方の幸せを想像し、物を売るのではなく事を売ることで多くの幸せを届けていきたいと思っています。
中でも自分が得意な分野は、エクステリアメーカーLIXILのプラスGという商品の提案。販売実績は県内一と評価されています。エクステリアマイスター、ライティングマイスター資格も保有。LIXILコンテストでは入賞経歴もあり、佳作だったと思う。今はカラーコーディネータ資格を取得すべく勉強中。
2019年から始めたYouTube「三平の外構チャンネル」では、男優として出演中。緊張しながら始めた動画も、今では自然なトークができるようになり、登録者は900人を突破。「動画見ました!」が営業現場の会話のきっかけになることもしばしば。
14年のキャリアで、見積件数は2000件を超え、お客様からは「話しやすい」との評価もいただいています。
青年部会で言えば、毛頭家で駐車場の砂利敷きにコンクリート打設を施工させていただきました。また、西村幹事の木陰屋のサイクルポートと、店舗入り口の照明、グレーチングも担当。平岡会長の尾道補聴器センターでは、花壇の中の植栽をデザインし、「店舗の中から外を見た時に、コケが見えた方が良い」とご提案してコケを植えた他、裏の門扉も施工しました。
これらの仕事は各会員さんから直接お声掛けいただいたものばかりで、「元会長の社員だから」ではなく「森野祐希を認めていただけた」ことの証左だと思って、誇りに感じています。
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事業所の目標
自分は代表ではないので、社員としての目標になりますが、人の望みをかなえてあげられる存在になりたい。「自分の名前である『祐希』に込められた親の想い」でもあります。「三平商事に工事をお願い」の仕事がまわってくるのでなく、「三平の森野に直接お願い」とご指名をいただける存在になりたいです。
趣味・特技ほか、あなたについて何でもどうぞ
基本的にはインドア。生まれも育ちも呉市焼山で、就職まで実家暮らし。趣味を軸に、自分の今までを振り返ります。
幼少期は、3歳で、オロナミンCを飲みながらジブリを見る生活。同い年のいとこが絵を描いていたのに興味を持ち、絵を描くように。母には「子供にピアノ」と言う夢があったみたいで、ピアノを習い始めました。惰性で小学校卒業するまで続けた。
小学生では、ゲームではクロノトリガー、ボンバーマン、星のカービィ、ドラゴンボールにはまる。 漫画は、ジャンプコミックのるろうに剣心、ドラゴンボールなど、剣術や武力で敵を倒していくと言う王道の漫画が好きだった時代。小学校の低学年から友達とサッカーも。ドリブルで相手を抜くのが1番好きで、個人プレイが多かった。クラスの中ではうまい方でした。
絵の方は、いとこの影響を受けます。ボンバーマンのルーイ(ボンバーマンの乗り物、見た目はカンガルー)をめちゃめちゃうまく描いている従兄弟にショック。自分も真似してひたすらルーイを書くように。そのうち従兄弟がサンリオのキャラクター「けろけろけろっぴ」を使った創作漫画を書いて、それにも衝撃を受け、自分も漫画を描くようになる。 初の漫画作品は「豆太郎の冒険」。剣を持った手足の生えた豆が人間に食べられて、体内に侵入し、がん細胞を倒し続けると言うストーリー。と言うのもその頃、死についてとても恐怖しており、死に1番直結する病気が癌ということで、それを克服する、克服したいと言う思いと、日本刀が好きだった。プラス豆だと書きやすい…。以上3つの理由で「豆太郎の冒険」になりました。
なぜ死ぬことに恐怖していたのか、思い返すと、死んでしまうと大好きな家族と離れ離れになる。死んでしまった時に自分がどうなってしまうのかわからないという理由だったと思います。精神的にとても不安定で、急に声を出さず涙を流すなど客観的に見ておかしい子供だったなと思います。 ピアノは小学生時代もやる気はなく、ただ続けた。先生がスパルタでうまく弾けないところが何度も続くと怒る。ヒートアップすると、鍵盤に手を叩きつけられると言う環境。嫌になり、辞めたいと親に伝えるが、一度やると言ったのなら、最後までやり切りなさいと辞めさせてもらえない。しょうがなく練習もせず続ける。絶対やらないといけないなら続ける。でも向上しようとは思わない。これは今の私にも当てはまることで長く続けられるけど全然成長しない。というのはこの時の影響が強かったんじゃないかと思います。
中学生ではサッカー部に入ろうと思い、サッカーに専念したいと言うことでピアノを辞めた時はとても嬉しかったのを覚えています。 中学生では、サッカー部の時間が大部分を占めました。中学生レベルのサッカーを経験すると、自分はうまくないということに気づきます。しかし一度やると言ったからには最後まで続けないといけない脅迫観念から中学校3年間継続。顧問は上手ければ1年生でも使い下手だったら3年生でも試合では使わない主義だったため、公式戦には中学校3年間で1度しか出場できませんでした。中学3年生の最後の公式戦の1試合に出さしてもらい、初得点を決めたので、3年間頑張ってよかった、続けていればいいこともあるんだなぁとこの時初めて知りました。
しかし高校では絶対にサッカーはやめようと思いました。 高校生時代は、また絵を描くことにはまる。いとこの「天上天下」に衝撃を受ける。内容よりも絵に衝撃を受けました。絵が今まで見た漫画家の中で1番うまいと感じた。作者は大暮維人(おおぐれいと)さんで、キャラクターの顔は漫画の顔(目がとても大きく、鼻の穴はリアルに表現されず髪の毛のボリュームがある)だが、男女の体がとてもリアルに描かれていてそこからマッチョで可愛い顔をした男性の絵や漫画を描き始めました。
部活はゴルフ部。ちなみに武田高校では森川さんのふたごの姉?と同じ学年。 大学生になって、流行っていたニコニコ動画と言う動画配信サイトで、チクチューの配信に衝撃を受けました。「新世紀エヴァンゲリオン」の「残酷な天使のテーゼ」の耳コピに影響を受け、自分も耳コピに挑戦。音感は鍛えてもらっていたので音を聞いたら音階はわかる。耳コピを機に自分の好きな曲を弾くことに楽しみを覚え、ピアノもそこから好きに。ファミコンのクロノトリガーや、星のカービィなどの作中曲を耳コピし、ジブリの音楽も弾いてみたいとなり、楽譜を買って弾くように。大学にピアノを置いている部屋があり、友達11人の前でジブリメドレーを弾いたのは良い思い出です。
絵の方は、授業中に落書きを先生に見られ「君絵がうまいね、ポスターのイラスト描いてよ」と、在学生に向けた情報発信紙にイラストを描く経験も。パソコンのペイントでマウスを使って描いてました。
就職活動では、3月までずっと決まらなかった。いわゆる就職氷河期で、大学のキャリアセンターに三平商事の資料があり、よく分からないまま試験を受けた。試験のひとつは「セロハンテープのデッサン」。また、当時社長が青年部会で学んでいたTTWという、マンダラチャートに似たワークもあった。真ん中に「夢」と書いてあり、そこから自分が連想することばで埋めていく試験、その答えをもとに、「なぜそう思ったの?」とか、対話をするツールです。今考えると、青年部会での学びを、仕事場で実践する、社長のすごみを感じています。 その時には、めぞん一刻の話で盛り上がりました。というのも当時の経営理念は「あなたに出会えて良かった」という言葉で、それは実は、「めぞん一刻」の感動的なセリフ「あなたに会えて、本当によかった」と、ほぼ共通していたからでした。共通の話題ができると、一気に距離が縮まったように感じました。 さらにその時に、社長のパース漫画を見て衝撃を受ける。「こんな素敵な絵を自分も描けるようになりたい」と思っていたところ無事合格し、入社。
それまで、建物や植木を描いた事はなかったし、当時はあまり楽しいと思っていなかったが、仕事で絵を描けるのはうれしかった。ただ休みの日は昼に起きてパチスロをして夜は酒浸り、な日々を見かねて、社長から「趣味作れば?」と言われ、興味のあったヴァイオリンを始めました。友人の結婚式の余興で「情熱大陸」「カントリーロード」を演奏。とても喜んでもらえて素敵な思い出に。
1つ下の妻とは、合コンで出会い、「飲み物なくなったら注文、話がなくなったら自分から振る」などの気配りにひかれました。みんなで連絡先交換し、デートを重ね、自分が31歳の時にゴールイン。自身の結婚式の披露宴で私はヴァイオリン、奥さんはピアノでクィーンのドントストップミーナウを親戚一同の前で演奏。アンコールには私のピアノソロで久石譲さんの「summer」を演奏。両親の涙を見た時は自分も泣きそうになりました。2025年8月に第3子誕生予定です。
自分の目標
会社の折り込みチラシ「楽住楽庭通信」で4コマ漫画を描かせてもらう。実はそれが1番楽しい仕事だったりします。 親友の彼女も絵を書くのが好きで、その作品を見て衝撃を受けました。その彼女は3年ほど前に有名なイラストレーター兼Vtuberになり、書籍も発売。それに影響され、かわいい女の子を描いたり、3年前から模写やパースの勉強など、上手くなるために絵を描くようになる。 なお1番影響を与えてくれたのは妻です。自分の落書きに「可愛いね」と笑ってくれたり、自分たちの結婚式のウェルカムボード描いた際も、とても喜んでくれた。一番の達成感でした。 絵は手段であって、目的ではない。目的は、相手に喜んでもらうこと。絵は自分の大好きなことだから、楽しく続けられる。その絵で自分自身が関わる人を笑顔にしたい。 これまでは描きたいものがなかったが、自分の子ども向けに絵本をつくった。iPadで描いた「おこりんぼじょうくん」。とても喜ばれた。今後、絵本の線はあるかも。 将来は、個展を開きたいです。


三原YEGに入ったきっかけ
当時、三原YEG会長だった社長の林に、オブザーバーとして連れてきてもらったのがきっかけ。長年オブザーバーでしたが、委員会後の飲み会などで距離が縮まり、林が卒業して数年後の2021年、入会することに決めました。
三原YEGに入ってよかったこと
人のつながりから仕事を受けたこと。オブザーバーの時から社長の「金魚のフン」から脱却できたと感じています。子育ても忙しく全然参加できていないのが現状ですが、平岡会長から「ムリせずに参加すれば良い」とおっしゃっていただき、心がラクになりました。これからも、出席できるときは出席したい。 なかでも、青年部会での活動を縁に「絵を描くという趣味のステージが、ひとつ上がったな」と感じたのは、中野辰悟の会社ロゴマークを描かせてもらったことです。 少し絵が上手いレベルの自分に依頼してくれたことがとても嬉しく力になりたいと思いました。 「モーリの描いた絵が好きなんよ」と四コママンガの写真をLINEで送ってもらった時も嬉しかった。 ロゴマークが完成し、報酬を頂いた。その瞬間にプロの森野祐希が誕生した。 中野辰悟に漢にしてもらった事を忘れることはこの先無いだろう。
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| 事業所名 | 三平商事有限会社 |
| 業種 | 住まいに関わる幸せ創造業(お庭・外構・リフォーム設計施工) |
| 代表者名 | 林 大作 |
| 事業所役職 | 主任 |
| 事業所住所 | 三原市皆実1-14-11 |
| TEL | 0848-63-1301 |
| FAX | |
| sanpei@tiara.ocn.ne.jp | |
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